密教系の宗派と言うか、私が経験してきた話ですが…得度の師、四度加行の師、灌頂の師というか、個別尊格(如意輪観音等)の供養法の師は別の方でした。
なんでこんな事書いているかと言うと先月ご縁があって埼玉県行田市の要唱寺の斉藤大法上人から地涌唱題行(地涌唱題プラクティス)を伝授して頂き法の弟子として入門させて頂きました。
入門したと顔本に書いたら他所様から宗派変わるのか?それなら日蓮宗の僧籍取れみたいな話が来たのですが…
何も変わりません、天台無動寺修験道の末席に連なる半僧半俗の修験者です。
得度寺の弟弟子が日蓮系新宗教の人だったのでこう言いました、
「日蓮大聖人も天台沙門だったのですから…大聖人が親なら我々がいる天台宗は祖父母の家であり大聖人の実家だと…」
比叡山行院同期のお寺の関東布教所の所長も続けますし、変わると言うか増やすというのなら地涌唱題プラクティスの実践と法華系聖天信仰を広めるために法華系単立の横浜地涌唱導講という講を立ち上げる予定ですが…何時になるやら…このnoteは個人的な考えと地涌唱導講の事を書くことに使用します。
そんな話はさておき、実家の宗旨は日蓮正宗旧信徒の家系ですので法華経の御題目を受持しておりますが、仏作って魂入れずみたいな感じでお題目は有難いという気持ちだけのお題目を上げておりました。
お寺と教会の親なきあと相談室横浜支部の講師依頼の事で連絡を取らせていただいた時に地涌唱題プラクティスについて説明していただきました。その時に伝授のお話を頂きました。
これは私の主観なので解釈に間違いがあるという事を前提に…
元々日蓮門下の解釈のお題目は久遠実成本師釈迦牟尼仏から上行菩薩に相伝された題目を我々はお唱えすることです。
だけどその意味を習っても理解できず漠然とお題目を唱えている自分だったことに気が付いたのです。
亡き父が南無妙法蓮華経のお題目は宇宙の真理を七文字をまとめてある、御題目を唱える事は全ての仏様を始めとする魂の根源なんだよと習っていても理解できてなかった。
日隆門流の事を学ぶご縁があり本門八品のお題目が有り難いと習ってもこれも芯がなかったと気が付きました。
斉藤大法上人から地涌唱題行を伝授されて私の中でしっかりとした久遠実成本師釈迦牟尼仏から上行菩薩、日蓮大聖人から続く斉藤大法上人まで続く血脈を授けて頂いたという安心感と言うか確信と言うのか魂の開眼をしていただいた気持ちになりました。
諸行無常なのでまた直ぐに無明の酒と言うべきか、煩悩の泥にハマって忘れてまたお題目を唱えて思い出すの繰り返しになると思います。
悟後の修行と言う言葉がありますが…そんな立派なこと無いですし…
日蓮大聖人が松野殿御返事で説く
受けがたき人身を得て適ま出家せる者も・仏法を学し謗法の者を責めずして徒らに遊戯雑談のみして明し暮さん者は法師の皮を著たる畜生なり、法師の名を借りて世を渡り身を養うといへども法師となる義は一もなし・法師と云う名字をぬすめる盗人なり、恥づべし恐るべし
松野殿御返事 日蓮
を地で生きている坊主もどきの願人坊主(明治に禁止された僧侶のような格好した物乞いや大道芸人を指す)でございます。
歌舞伎の法界坊みたいに振舞えるような人間ではございませんが…
日蓮教学の師と密(ひそか)に思っている大阪のお上人から御曼荼羅の中に護法善神もいるんだから増乱勧請も捨てて御本尊一本にして願人坊主やめるなら面倒見るから日蓮宗に帰って来いと言われていますが…
私は聖天さんと30年二人三脚で来たのでじゃ、聖天さん曼荼羅にお帰りやすとはいえません…
声優の國府田マリ子大姉と並んで大切な存在なのですから…
私は法華経への帰依の方便として聖天信仰を推していますので…
現に旧寂光庵講社からついてきてくれている信徒さんは大黒天信者ですけれど大黒様のご縁で法華経に帰依されておられます。こんな願人坊主でも支えて下さる方を粗末には出来ませんので…
昔出奔したお寺の若上人が学生時代に吉川英治氏の言葉だと法話で話されていました
我以外皆我師
という言葉があるそうです。調べると小説宮本武蔵に書いてあるそうですね。私は新感覚派の今東光大僧正と横光利一派なんで…そういやぁ、新感覚派の川端康成先生の小説読んだこと無いな 今東光大僧正の親友なのに…
そんな感じで間が抜けた願人坊主ですが今日も生きています
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