日本仏教dis太郎のネタってその人が出会った人の影響が多いのではと私の実体験では思います。
子供の頃の話ですが妻帯はされておられましたが大変素晴らしい老師様が母方の菩提寺の方丈様でした。そのたたずまいを思い出しますと私なんぞは味噌っかすの願人坊主で穴があったら入りたい気持ちになります…なのでいまだに地元の大本山総持寺の修行僧が寒行托鉢に出られている姿を見ると背筋が伸びます。最近は夜の鶴見の街に出歩かないので夜の修行はしりませんが…
在家時代に
「僧侶とは24時間僧侶では無くてならない」
「僧侶はホストである」
とか習いまして…ホスト云々について( ゚д゚)ポカーンとしていたら
「男芸者だよ」
と習いました…
男芸者=幇間(太鼓持ち)だと言う理解なので…
桜川ぴん助師匠なんか私の生まれたころには亡くなってましたが…
真面目にかっぽれ習いに行こうかとか色々と考えました…どちらにしても挨拶が出来ないとかコミュニケーションが出来ないので勉強の為にクラウン(道化師)を優先したので太鼓持ちについては学んでませんが…
私の知り合いで横浜の円蔵師匠と呼ぶほどヨイショが上手い人がお寺と教会の親なきあと相談室横浜支部に手伝いに来てくださいますがアレは天性の物だと思います。真似できない、私は尻が落ち着かないので正直苦手なんですが…場を持たせてくれるので感謝しています。青少年福祉の現場で働く方で心ほぐすの一躍かってらっしゃるんだろうと思います。
これまた別の知り合いの芸人さんでヨイショするんだけど私を見下しているのがボロが直ぐに出てくる…他にも私を見下すのはまぁ許しますが…我らが大姉をぼろクソに言われたので距離置いてますが…
暮れに飛んできた藪からスティックも某所の関係者による太鼓持ちのヨイショが原因だと思われます…つながっていない人が内内の場で書いた事を知っているという事はそれはとある人がヨイショも兼ねて御注進したという話でして…
こちらは弟子でもないのに言われる筋合いが無い事言われまして…信徒としてひそやかにお参りさせて頂きたいとお願いしたけれど指導してくれとか言った覚えはありません。同席していた人はここでまた修行しようとかいってましたが…する気無いですと正直にいえばよかったのかな? 誤注進されるくらいなら…
基本的に自殺寸前まで追い込まれる毒親的な人の処なんか行くべきでは無かったと思います。法友の行の見舞いで耳に入るだろうと思ったし私が出来ない密供を信徒さんが希望されているのでそのパイプになれたらと思っていっただけなのですが…
私はとやかく言われる筋合いはございませんので絶縁しました。言われた通りの味噌っかすの坊主になったのですから他山の石はほっといて欲しい物です。
暮れは他人のヨイショ等が原因でそうとうやつれていたらしく…荒行のお見舞いに行った裏堀之内の先生から
「寂光庵上人の方が荒行している我々よりやつれていて里の修行の方が大変だと思いました」
と先月言われました。
幸な事に私は日本仏教dis太郎になってないのは素晴らしい方々に出会えたからだと思います。
基本的に私は妻帯についてはどうなんだ?という疑問はありますがとりあえず自分の頭の上の蠅を追うので精一杯なんでこちらに振られない限りはスルーです。
在俗問わず結婚して家庭持たない奴は信用できないとかいう僧侶の方もおられました。私の場合は出来そうもないから僧侶になった訳でして…
よくネタで三次元のみ清僧とか、三次元のみ不邪淫戒死守してますと申してますが…
ほっといてくれと言うのが本音で…なので振られない限りは沈黙を貫きます。
「KIRINのまま30歳過ぎたら魔法使い、35歳過ぎたら大魔法使い、私は37歳で阿闍梨になった」
は使い続けますがね…
そんな話はさておき某大徳が私が宙ぶらりんで味噌っかすの坊主云々について嘆いていたことについて
「お坊さんごっこやめませんか?」
と言われました。なんか毒親的な人はどっかでみたらしくて文句ブツブツ言ってましたけれど…某大徳はあの方の法の師なんでよね…
大学に行って基礎仏教学を学んで気が付いたのですが、味噌っかすの坊主とは宗門等の組織に入って社会的な活動をする事のようなのでした。
某大徳がいう事は組織の中にいることを優先するよりまずはお釈迦様が説かれた四諦、八正道を実践していきなさいと言う意味と私は解釈しました。
組織にいられない野良犬坊主なので野良犬らしく生きていきたいと思います。
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