↑の記事で書いた事ですが。
私の父は宇宙の全てが包まれている十界曼荼羅御本尊とお題目三遍で十分と言う人でした。なので諸尊を個別に勧請しなくていい派でした。
原理主義と言うか日蓮大聖人の教えを突き詰めれば十界大曼荼羅本尊を安置すればそれだけでいいのです。
仏像についてはお釈迦様と四士(上行菩薩・無辺行菩薩・浄行菩薩・安立行菩薩)を祀る一尊四士、お題目を中心にお釈迦様多宝如来、四士を一塔四士という祀り方もあります。
そこに日蓮大聖人のお像を合わせて御祀りされるのが日蓮門下寺院の基本的な祀り方ではないでしょうか?
横浜地涌唱導講の本尊は十界曼荼羅に丸い三宝尊です。
先日雑乱勧請は富士門がぁと言う言葉を見かけました。いや、そんな事無いですと言おうかなと思いましたけれど…止めておきました。
お世話になっている木剣祈祷や雑乱勧請を否定している学僧の日蓮宗の上方のお上人はたしか血脈は日像門流のはずですし、日什門流の本多日生上人も雑乱勧請廃止に動かれています。
雑乱勧請排除の元祖謗法払いは富士門流じゃなくて幕末の本門佛立講いわゆる日隆門流ですよ
なんて一々言われた方は気分良くないだろうなと思ったので…
今の日蓮法華の師僧である大法上人と雑乱勧請との護法尊から大曼荼羅本尊へ帰依するのが本義ではないでしょうかと言う話でまとまりました。
基本的に私は仏縁に応じて進むべきだと思っていますので諸尊経由で法華経に帰依する事は間違っていないと思います。
ただ何でもかんでも富士門がとやられるのはちょっとなぁと思いました…天台沙門の私がいうのもなんですけれど…
追記
密教雑乱勧請という言葉をさすならすべての本尊を胎蔵曼荼羅と金剛界曼荼羅のみにして仏像はいらないという感じかなぁと思ったりしています。
どうなんでしょうね? またチョイ悪和尚コメントして帰ってくれないかしら…先日のコメントの返事の記事難しくてまだ下書きどまりです…
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